第11回高校生クイズ回顧録 ④同窓会~その後の人生編 |
▼1992年、京都の大学に進学。 その年の8月9日、第16回ウルトラクイズの東京ドームの予選に参加。 約1年振りに福澤さんに会う(というか「見た」)。 去年は間近で話までしたのにドームのスタンドで豆粒のような大きさの福澤さんを見るのはなんか変な感じだった。 なお、この時は1問めで落ちた。 また前項で書いたようにこの回は入ってるサークルの関係上、優勝者どころか準優勝者まで放送前にわかってしまいそういう点もつまらなかった。 |
▼その20日後、8月29日に愛知・松蔭高校が幹事となり名古屋で同窓会が開かれた。 これはI井から手紙が来たのだがI井もS井も浪人中なので参加しないという。 ちょっと心細かったが名古屋なら京都から近いし、栃木のH君も行くというので行くことにした。 鳥取のM君は来てなかったので話したことのある人がH君しかいなかったが他の人たちはみんな仲がいい。 どうやら交通の便がいい東名阪の人たちはあれから何度か会ってたらしい。 僕はこの時、早押し機を持っていくか悩んだが結局持っていかなかった。 特にすることもないのでまた麻雀。 確か2卓たっていたと思う。 ここでの思い出は広島の高校生に国士を振ったこと。これが人生で1度目か2度目の国士放銃だった。 昨年の放送で目立っていた愛知のYさんは幹事ということもあり当然来ていたが男どもにセクハラされまくっててかわいそうだった (麻雀ルームに逃げ込んできたこともあった)。 |
▼その年の冬、静岡・沼津高専の人から京都の下宿に電話がかかってきた。 沼津高専といえばバンドを組んでいてウエルカムパーティーでカラオケをしていた高校。 「俺たちのバンドに入ってくれ」とでも言われるのかと思ったら「友達の女の子が京都にいるんだけど会いたいと言ってるので連絡してあげてほしい」というものだった。 でもめんどくさいので結局会わなかったけど。 |
▼1993年。2回生の時に「第7回FNS1億2000万人のクイズ王決定戦」(フジ)に出場。 第1Rは予選を抜けた100人がフジテレビの玄関に並んで1人ずつ出題されるというもの。 僕も並んでるところがちらっとうつった。 すると2か月後くらいに、北海道の男子高校生から「高校生クイズを見てファンになったのですが先日のFNSに出てるのを見て嬉しかったです。髪型を真似したいので髪がよく写ってる写真を送ってください。僕の友達でファンになった女の子がいるのでその子の分も」という手紙が来た。 高校生クイズは単行本が出て各県の代表の名前と写真が掲載されるのでそれで僕の名前は認識したかもしれない。 でもFNSは2秒くらいしか映ってないのによく「高校生クイズ出てた人だ!」ってわかったなあ。 これに対し、返事を書いたのは覚えてるが写真を同封したかは覚えてない(たぶん送ってないと思う)。 髪型については別に美容院に行ってたわけじゃないし、特にセットとかもしてなかったのでアドバイスのしようがなかった。 |
▼1996年3月。大学の卒業間際に東京に行く機会があった。 あの1回戦の舞台となった代々木公園に行ってみたが広いのであの早押しの会場となったのがどのへんかというのはわからなかった。 東京から帰って来るとなんと留守電に鳥取のM君からのメッセージがあった。 M君は僕の1つ下で東京の大学に進学していたが4、5日大阪にいるので会いたいということだった。 その2、3日後だったと思うけど大阪に行って4年8か月振りに再会した。 その後、M君は2003年に高知に来てくれたのでそこで2度目の再会。 「鳥取においでよ」とずっと言われてるがまだ実現していない。 僕が行ったことない県は東北6県と鳥取、島根だけなのでそういう意味でも行ってみたいが…。 |
▼1997年夏。神戸で働いてた僕に母親から手紙と福澤さんと2ショットの写真が送られて来た。 高知県のアンパンマンミュージアムに福澤さんが来るというイベントがあり(アニメのアンパンマンは日テレだから)それに行った母親が話したり写真を撮る機会があったらしい。 母親は僕の高校生クイズの話をしたが当然向こうは覚えていない。 しかしその後福澤さんから第17回高校生クイズの宣伝用ハガキが母親に送られて来てそれには「ご子息にもよろしくお伝えください」と書かれていた(そのハガキを大き目の封筒に入れて母親が僕に送ってくれた)。 |
おわりに 僕がホームページを開設したのが2001年。 開設から5年くらいたってアタック25の回顧録と今世紀最後ウルトラクイズ(共に1998年)の回顧録は某所に書いたやつを写してアップしてたのですが、この高校生クイズの回顧録はやってませんでした。 「いつかはアップしたい」という気も無かったのですが、今回youtubeに動画がアップされたことがきっかけで書いてみました。ホームページ開設から実に20年たってしまいましたが…。。 95年に書いた下書きがあるとはいえ、当時はOKでも今はだめなこと、当時でもこれはだめやろ、という箇所があり、大幅に削除したり、加筆したので書くのにすごく時間がかかりました(どういうことをカットしたのかは聞かれれば教えます)。 だいたいのことは覚えてましたが、宿舎に入ったのが僕が1番最初でカメラに撮影されたこと、1回戦の席はスタッフによるくじびきで決められたこと、岩手の子と後楽園遊園地に行ったことなどは今回95年版を読み返すまで忘れてました。そもそも最初に書いたのが収録から4年もたった95年なのでその時点で忘れてたこともあると思います。 また写真についてですが、当時の僕はカメラを持ってて普段結構とってたのですが高校生クイズでとった写真は数枚。なんでもっととらなかったのかなと後悔しています(岩手の子と後楽園遊園地に行ったのを忘れてたのはそこでの写真が1枚もないから。また同窓会の写真も1枚も無し)。上京の3日前に昨年の県代表など友人10人くらいで集まって壮行会と言う名のカラオケがあったのですがそこでの写真のほうが全国大会より多いくらいです(笑)。 ウルトラクイズや高校生クイズは放送の何倍もの問題が出題されてて、使われるのはほんの一部、というのはみなさん御存じと思いますがクイズ以外の部分も実にいろいろやっており、そしてカットされてるものです(僕らがステージにあげられたこと、敗者復活で福澤さんが実際に「愛は勝つ」を歌ってたこと、意気込みをシャウトするコーナーがあったことなど)。 1回戦で負けた僕でさえ、これほど裏話があるのだから上位進出した高校はこれの何倍もあるんだろうなと思います。 今回のアップは絶対やりたい!というわけではなくちょっと迷った時もありました。 でもまあ30年たったし、僕が死んでもこの回顧録は残るということで実行しました。 I井とS井とは高校卒業以来、1回も会っていませんし、同窓会もあれ以来ありません(呼ばれてないだけかもしれないけど)。 一言も話してない人がほとんどだけどあの時、一緒に笑って泣いた僕以外の146人の方のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。 |
コラム①なぜ四国・岡山大会なのか? 第1回の地区予選の分け方は山陽・四国地区(※)。第2回からは長らく四国・岡山大会という分け方でした。 なぜ中国地方の岡山県が四国と一緒にされるのか? 僕は昔は「四国だけだと数が少ないから岡山県に来てもらってるのかな」と思ってましたがそんなわけはなく「岡山県と香川県の放送局が同じ」だからです。 これは21世紀になるまで知りませんでした。 当時の四国岡山大会の予選はだいたい香川か愛媛でやっていて岡山でやるということはまずなかったので(高知は第7回で1回だけあった)「わざわざ四国まで来てもらって岡山の人に悪いなあ」と思ってました。岡山出身の人にこの話をしたら「(予選で)四国に行くのは楽しみだった」と言ってたけど…。 YES/NO予選は人数の少ない県から順番に前におかれる傾向があり、第10回の時も第11回の時も高知県は5県の中で1番前。 第11回の時の福沢さんはもちろん第10回の時の福留さんも至近距離で見ることができて「田舎でよかった」と思ったものです。 (※)第1回は四国+岡山、広島の6県で東京行けるのは3校だけ(山口は九州地区に入れられた)という気が遠くなるような確率だったけどその3校に土佐高校が2チーム入りました。 うち1校は全国大会の準決勝まで残り、眠い中一生懸命見てました(決勝の最後は寝てしまったような…。小さかったので)。 |
コラム②高知県は何チーム参加してたのか? 第11回の参加チームの総数は31238チーム。そのうち全国大会に行けるのは49チームだから確率は0.16%ということになります。 もちろん高知県はもっと確率高いですが、では高知県は何チーム参加してたのか? 各地区予選の参加チーム数はOAや単行本でわかりますが各県の参加チーム数はわかりません。 そこで当時の人口比率から無理やり出してみました。 第11回の前年・1990年の四国+岡山の総人口は612.1万人。当時の高知県の人口が82.5万人なので5県のうち占める割合は13.48%。 第11回の四国・岡山大会の参加チームは1834なのでこれの13.48%というと約247チームになります。 まあそんなに都合よく人口比率と参加チーム数は比例しないだろうから実際は200くらいかなと思います。 |