今世紀最後ウルトラクイズ回顧録 |
1998年8月29日(土)、朝8時過ぎに下田さんが車で迎えにくる。伊東さんも一緒だ。3人で西宮インターから高速に入り一路東京へ。そう、6年振りにウルトラクイズに挑戦である。 東京までは早かったが東京に入ってからなかなか動かなかった。16時半くらいに僕は新宿で降りて電車で池袋の雀荘「SG」に行き、庄司さんと中井さんと落ち合う。ラス半で第一打から一万、南、中と切って庄司さんから国士をあがる。これで明日のウルトラはもらったと思った。第10回高校生クイズと第11回高校生クイズで2年連続高知高校が高知県代表になったのは100回くらい書いたと思うが実はまだ1回も書いてないエピソードがある。それは2回とも大会前日に役満をあがった人物が次の日予選を抜けたということだ。しかもそれは3人打ちだったから役満が出やすい。@「4人打ちで」A「今年初めての役満が」B「しかも人生の勝ち組庄司さんから」あがれた。これで抜けられないわけがない。 それから最強戦…いや埼京線で早乙女さんの家に3人でとめてもらう。2時くらいに寝て4時半起き。早乙女さんと奥さんの佐和子さんは電車で、僕らは車で行く。東京ドーム近くの吉野家に行くとなんとウルトラクイズのTシャツを着たスタッフがいた。それから僕が出場した第11回高校生クイズで山口代表だった下田力君もいた。この下田君はあの11回のメンバーでは1番の出世頭である(2番は僕ということに僕の中ではなっている)。 開始時間は7時で朝食を食い終えたのが6時過ぎ。ちょっと早いかなと思ったがドームにはもう21346人くらい(推定)いた。下田さんは駐車場を探しに行き、伊東さんは「原を探しにいく」と言ってどっかにいってしまい僕は1人になってしまった。それからしばらくして日本TVの新人アナ菅谷大介アナと柴田倫世アナが登場し、菅谷アナが「今年は僕が問題を発表します」と言う。カーテンが開いてそこに書いてある文字は「今年は全員そのままドームにお入りください」。え〜どういうこっちゃと思っていると昨日カマラードの例会をすっぽかしてミンミンハウス(メンバーの女の子がコスプレして接客してくれる雀荘)に行っていた杉平から携帯に電話があり、下田さんらとも21番ゲートで落ち合う。サークルのOBが15人くらいいてちょっとした同窓会みたいになった。懐かしい気持ちはわかるが実は昨夜も彼らは会合を開いているのである。しかも今年はドームに入ってからも移動ができるのに、彼らは一向に動こうとはしない。入場しめきりは8:15で現在7時半。僕はいらいらしてきた。そして杉平も「時間までずっとこんな調子なんですか?」と聞いてきたので下田さんに「中入りましょうよ」と」言ったが入ろうとしてくれないので杉平と2人だけで入ることにした。中はもう一杯でバックネットに席はなく、一塁くらいの福留さんの「横顔」しか見えない位置。だから早く入ろうと言ったのに。来年は1番に入ってやろう…と11番通路に陣取る。 それからフィルムをチェックしたらが残り少なかったのでフィルムを買いに行く。11番から10番、9番…と行くがフィルムは売ってない。とうとう1番まで来てしまった。仕方がないので戻ってると早乙女さんに会い、「よう、川田。一緒に座るか」と声をかけられたので杉平をひっぱってきて移動。今度は6番通路。スピーカーの真横で横顔どころか何も見えない位置である。しかしあのとき僕がフィルムを買いにいってなければ僕も、そして杉平もあのような成績を残せてなかったと思うと全く不思議なものだなあと思う。 まわりは第13回優勝の長戸さんや、第11回優勝の稲川さん、第16回優勝の田中さんなどそうそうたるメンバーでそのまわりも有名人で埋め尽くされた。そして席が2つだけあいていたので男の子2人が「ここあいてますか」と来る。「あの〜ここチャンピオン席じゃないんですか」とおずおずと聞いてきたので「いやっ、素人席ですよ」と快く答える。でも確かにあのメンツの中に座るのは勇気がいるよね。 それにしても人数が多い。6年前は2階はがらがらだったのに今年は2階までぎっしり。福留さんが言うには参加人数は50543人だそうだ。晩年(第14回〜第16回)のウルトラはだいたい25000人前後だったから一気に倍、というか昔は先着30000人の人数制限があったのだ(来ない人が絶対いるから25000人)。どうやら今年は人数制限を大幅にあげたらしい。ここで杉平が「500倍ですか…はあ…」と言ったのが印象深い。なぜなら僕は抜ける気など、全くなかったからだ(というか無理)。しかし彼は本気で抜けようと思ってるんだなあと思った。そうこうしているうちにいよいよ第1問。 |
第1問「自由の女神が建てられた時、女神はニューヨークで1番高い建造物になった」 これは難問だ。あとから考えてもドームで出された問題全部の中でも1番の難問だったと思う。直感では○と思った。早乙女さんも○、佐和子さんは×だった。まわりではみんなが資料片手に調べまくる。エンパイヤステートビルは自由の女神より高いのだがそれは女神より約40年後に建てられたと判明。あとはその40年前に40m級のものが建てられていたか、ということだったがどうやら○らしいという情報が来る。僕のまわりは全員○。「まーる、まーる、まーる」と祈る。正解は「○」。やった。ついにウルトラで1問正解できた。というのも僕の高校生クイズ、ウルトラの日本テレビクイズ番組の全成績は 1990(高2) 第10回高校生クイズ高知県大会3問目敗退 1991(高3) 第11回高校生クイズ高知県大会優勝→全国大会1回戦敗退 1992(大1) 第16回ウルトラクイズ1問目敗退 そして第16回を最後にウルトラは終わってしまったので「高校生クイズは1問目で落ちたことはないがウルトラは1問目を突破したことがない」のである。だからこの1問目突破は本当に嬉しかった。 |
第2問「日本で「自由の女神」という歌謡曲が発売されたことがある」 普通に考えれば○である。なぜならもし答えを×にしたいのなら今までに発売された何万、何十万という歌謡曲を調べて「ありませんでした」としなくてはいけないがそんなことは不可能である(また歌謡曲と言い方が無理がある。じゃあロックであったらどうする?)これは実在しているから問題にしていると考えるのが普通である。だからわりと自信はあったがそれでも「いやしかし…」と不安だった。正解は○。 |
第3問「アメリカの入国スタンプの絵柄に自由の女神が使われたことがある」 これも同じ理屈だ。もし×にしてどっかで1回でも使われていたらどうしようもない。しかし同じ理屈が通用するほどウルトラは甘くないし、「○○」と来たから次は×かなあと安易に考えた(もちろん○○○というのも頭をよぎった)正解は×。入国スタンプは文字と数字が普通であり公式入国スタンプを全部調べてもない、とのことだった。これは歌謡曲と違って数に限りがあるのだ。長戸さんはこの問題で敗退してた。過去2問、長戸さん→早乙女さん→佐和子さん→僕と情報が来てたので当然長戸さんも×にしていると思った。長戸さんが○にしてるのは知らなかったが知ってたらたぶん○にしてたと思う。もちろん長戸さんだって万能ではなく優勝した回以外は全部○×で落ちてるのだがやっぱり長戸さんが○にしてたら心は動いたと思う(1問目と2問目は長戸さんが○にしてたをしってたので安心してた)あぶない、あぶない。この問題では長戸さんの他にも下田さんや小林さんなどの実力者が敗退しているので結構難問だったと言えるだろう。 |
第4問「ソフトクリームの形は自由の女神のもっているたいまつから作られた」 これも普通に考えれば×である。いやしかしウルトラだから…と思ったがまあでもなあ…と思って×にしたら正解。これを読んでる人は「そんなん当たり前だろ」というかも知れませんがあのドームにいたらそんなに冷静ではいられないって。嘘と思うなら実際に参加してください。さて例年なら2問目からグランドにおりられるのだが今年は用紙に○か×の個所に穴をあけていく形式。しかもそれは5問目まで用意されている。「あと1問、あと1問。ここで負けたらめっちゃ悔しいですよね」と佐和子さんと話していたら「今たってる人(4問連続正解者)どうですか、そろそろおりてきたら」と言われる。5問正解しないと無理と思っていたのですごく嬉しかった。 ここまで読んで「クイズ強い人と結束して正解したのか」と思う人がいるかもしれないがそれは違う。確かに1問目とかはそうだったが2問目からは考える時間が少ないのでまわりを見る余裕がなく、結局まわりのグループ30人くらいのうちグランドにおりたのは6〜7人で、いつのまにか稲川さんや田中さんは座っていた。だから結構ラッキーだったといえる。おりてからみんなで写真をとったり人工芝の上で寝転んだりしてみた。一応関係者で固まったのだがその中にはサークルの先輩の後藤さん、第15回グアムまでの奥村さん、第13回成田までの仲野さん、第13回4位の田川さんらがいた。すると僕の携帯に下田さんから着信が。「抜けてるやん」とのことだったので「どこにいるんですか」と聞くとなんとはるか上空の2階席。だいたいわかったが小さすぎて顔まではわからない。どうやら彼らはそ〜と〜遅く入ったらしい(別に遅く入るのが悪いと言ってるわけじゃありませんよ) |
第5問「タイガー・ウッズは寅年である」 これも普通に考えれば×である。単純に考えて11/12は違うんだから。「僕24(←当時)でウシ年です」とかいろいろ言って「(寅年より)もっと若いやろ」ということになった。1975年生まれ、ウサギ年の杉平も「僕よりずっと若いはずです!×です!」と断言した。正解は「×。ウサギ年です」とのこと。我々はずっと若いと思ったがなんと1年違い。杉平も「同い年?あぶねえ」と冷や汗。 |
第6問「肥満の人には脳みそにも脂肪がたまる」 これも難問だ。しかし奥村さんが持っていた「日本語大辞典」の「肥満」の項目を見た結果とみんなの話し合いで×と決定。正解は×。僕はそのとき大辞典を見てないのだがなんてかいてあったのだろう。まさか「肥満の人は脳みそに脂肪がたまらない」と書いてあったわけじゃないだろうし… |
第7問「ミミズもバックする」 これは早乙女夫妻が「雑学本で見たことがある」と言った。このように他人が「見た」と言って落ちたケースはよく聞くので「こういうので落ちたらイヤだなあ」と思ったがさすがに1人だけ○に行く勇気はなかった。正解は×。 これで7問連続正解。一応僕は高校生クイズを抜けているがそれは田舎の高知県のこと。サドンデスをのぞくと5〜6問で決着がついた。7問連続正解は多分新記録。しかも高校生クイズより難易度が高いウルトラでそれをやれるなんて。「絶対無理。参加するだけ」と言っていたがあと3〜4問で可能になる。これはひょっとして…と欲望が頭をよぎる。「絶対抜けて会社辞めるぞ!」と僕が言うと仲野さんも「よし!一緒に辞めよう」と言っていた。本当かな? |
第8問 いよいよここからあこがれの「ボールつかみ」である。○と思えば赤のボールを持って○のゾーン、×と思えば白のボールを持って×のゾーンへ走る。グランドに降りられるだけで満足なのにボールつかみなんて…。もうおなかいっぱいです、と思った(笑)。 第8問「満潮の時ほんのわずか陸も高くなる」 問題が読まれた直後、杉平は「これ○じゃないですか」と言ってきたが僕は聞いた瞬間×と思った。今から10年前の第12回ウルトラ(1988)で「カセットテープは録音するとほんのわずか重くなる」という問題が出て当時中3だった僕は「ほんのわずかか、重くなりそうやな。○や○!」と思ったら「×。録音は磁気の配列なので重さには関係ない」というのがあった。「ほんのわずか」がなかったら○にいったかも知れないがこのフレーズで×行きを決定。今回は肥満問題のように特に理由はないがみんなも×のようだ。白い×ボールをつかんで×のゾーンへ。 すると残り時間わずかの時に杉平が○ボールをもってきて「ここ×ですか。僕○なんであっち行きます」と言う。誰でもわかるようにデカデカを書いてある×ゾーンに来て「ここ×ですか」はないだろう。それにもうすぐタイムアップやで、と思ったが杉平は人ごみをかきわけスタッフを殴りつけて○のゾーンに突っ込んでいく。いつもおとなしい杉平がここまでアグレッシブになったのを見たのは初めてだった。もちろん早乙女さんや仲野さんは全員×。馬鹿だなあ、と思った。早乙女さんですら「あれ?あっちいっちゃったの?」と言ってたくらいだ。 「ばーつ、ばーつ、ばーつ」と大声で叫びながら祈る。 役満をあがっても「ロン、32000」と顔色ひとつ変えない僕だが、ウルトラクイズは人を変える力がある。いつも僕のことを暗いという会社の人が見たらびっくりするだろうなと思った(笑)。 「ばーつ、ばーつ、ばーつ」… ……しかし答えは○だった。「あ〜〜〜〜」とわざとらしく倒れてみたりしてみたがテレビカメラは近くにいなかったので無駄だった。 ×ボールをポケットにしまいこんで(本当は返さなくてはいけない)ゲートを出る。この時早乙女さんらとはぐれてしまい、さらに迷子になってしまったのでスタンドに戻るのにすごく時間がかかった。戻った時はもう10問目の正解発表の頃だった。スタッフが正解者の数を数えている。判明したようだ。福留さんに伝令が行く。「現在残っている人数…101人」。なんと101人、こんなん抜けたも同然やん、と思った。そしてなんとあのはしっこでひょこひょこ歩いているのはすぎへいではないか!杉平あの後も正解したのか、絶対抜けろよ…と思う間もなく杉平は次の11問めであっさり抜けた。 最初は僕と杉平の2人だけで行動してたわけでその杉平が抜けたのはうらやましくもあり、うれしくもあった。正直奥村さんや仲野さんが抜けてもふ〜んという感じだがあの杉平が抜けたのである。彼の半荘回数が小野、丈二さんについで3位という事からも親しさがわかると思う。 あとでわかったのだがそこまでずっと一緒に行動していた田川さんも8問目で○に行ってその後通過したらしい。自然科学の○×は難しいのだが杉平(やや理系)と田川さんが○に行き多田さん(理系)もこの問題は自信を持って正解がわかったそうだから(もちろんスタンドで)理系の人には結構簡単な問題だったのかもしれない。ただし杉平は自信がなかったので僕らを引き込めなかったらしい。なぜあんなに×のゾーンに来るのが遅かったかというと1回は○のボールをつかんで×のボールをつかみなおしてたらしい。「教えてくれよ〜」と思ったがあそこ(8問目)であの人数を引き込むには200%の自信がないとできないよね(実際杉平はそこまで3回くらい間違えてたので僕は彼が「これ○じゃないですか」といっても聞く耳を持たなかった)。 |
とにかく楽しかった。7問正解できたこともあって6年前とは全然興奮度が違った…ということでこのあとも少し文章があったのですがちょっと省略します。この文は98/10/05発行のカマラードリーグ公式記録集No.66に掲載したもので当時はまだ成田予選の前でしたのでその後の事を書きますとこの年の成田はじゃんけんではなく一芸でした。杉平君は盲牌という非常にTV受けしない科目で望んだのですが6ソーと9ソーを間違えて惜しくも憤死しました。 敗者復活の卵ポン食いでは最後の1人まで残ったのですが(これはTVでも放送された)惜しくも負けてしまいました。なんでも1回はうまくいったのに「手首を使った。もう1回」といわれてリトライの結果敗退という納得のいかない負け方だったそうですがこの年のウルトラはつまらなかったのでまあいいんじゃないでしょうか(え?よくない?だって決勝がドロンコですよ)。 当時はめずらしかったコスプレ雀荘もいまや「ギャル雀」という名前でメジャーになり、当時は無名だった柴田アナもその後松坂と結婚してメジャーになったり、読み返して懐かしかったです。全問題を掲載しておきますのでドームに行かなかった人も挑戦してみてください。東京ドーム全問題 |