第11回高校生クイズ回顧録 ①上京~ウェルカムパーティー編 |
2021年3月、youtubeに第11回高校生クイズ(1991)がアップされました(現在は消えてるかもしれませんが…)。 もうあれから30年もたったのかと思うと驚きを隠せません。 僕が大学4回生の時(1995)に某所に回顧録を書いたのですが今回はそれを元にネット上にアップしてみようと思います。 注※各県の高校名はどうしようかなと思ったのですが調べれば出てくるし、そのまま書きます。 各個人のお名前は伏せます。 ※当時の僕は進学校でもない、ましてやクイズ研究会でもない田舎の高校生。 「わからなかった」とか書いててもへぼいとか言わないでくださいね(笑)。 |
その前に第10回(1990)について。 3チームで参加。 Aチーム(僕)…YES/NO3問めで敗退。 Bチーム…YES/NOを突破したが次のペーパークイズで敗退。 (当時はYES・NOで各県8チームに絞る→ペーパークイズで4チーム→準決勝で2チーム→決勝戦という流れだった)。 Cチーム…県代表になり全国大会2回戦まで。 ABCというのは事前に僕が作ったペーパークイズ(ウルトラクイズの機内3択から作った)を全員に実施して、その平均点の結果順。 結果、ペーパークイズとは逆の結果になりました(笑)。 |
第11回はCチームは昨年と同じメンバーで出場。 僕のチームは I井…チームリーダー。昨年も同じチーム。 S井…昨年はBチーム。 僕を含め全員3年生。 司会が福留功男さんから福澤朗アナに代わった最初の回でした。 |
▼1991年7月29日(月)。台風の影響で高知は雨だった。確かJR高知駅に集合してからバスで高知空港に行ったと思う。 空港には僕の母親が見送りに来ていた(僕は寮だったので親とは離れて暮らしていた)。 そして夜なべして作ったという3人分のハチマキとタスキを渡してくれた。 しかしハチマキはともかく、タスキをして高校生クイズに出てる人ってほとんど見かけないし、なんか選挙運動みたいで恥ずかしかったので 「タスキはいいわ」と受け取らなかった(ごめんね)。 飛行機が飛ぶか心配だったけど無事飛んでくれて東京へ。東京は晴れていた。 |
▼羽田空港からどうやっていったかは覚えてないけど苦労して日テレに着いた。 受付でネームプレートをもらって大広間へ。 すると後ろの席に座ってる高校生が読んでる新聞の裏面に僕ら3人の顔が大きく写ってる。 「それどこでもらったの?」と聞いたら「今朝、チームリーダーの家に届いた」とのことだがI井の家には届いてない。 そんなもんもらってない、というと入口でもらえると言われ、見ると山積みになっている。 早速とってきて食い入るように読んだ。 これがいわゆる「高校生クイズ新聞」(正式名称「読切新聞」)である。 OAを見ると各チームリーダーの家にこの日の早朝配達され、それを読んで各チームの分析をしてほしいというのが番組側の狙いだったらしいが、I井の家には翌日に届いたらしい。 この日は四国・九州に台風が接近していて、特に長崎に被害が出ている、と早朝のニュースでやっていた。 その長崎がなかなか到着しなくて心配されたがだいぶ遅れて無事到着。 さあいよいよクイズ開始か…と思ったら「これから生田スタジオに行きます」とのこと。 おーあの有名な生田スタジオかとミーハーな僕はテンションがあがった。 この生田スタジオ、すぐ近くにあると思ってたら神奈川県川崎市にあるらしく、到着するまでかなり時間がかかった。 |
▼生田スタジオで「ウェルカムパーティー」が開催される。 アメリカ、フランス、インドなどの7か国のテーブルに別れており、それぞれの料理とそれぞれの国の女性に扮した7人のコンパニオンさんがいた。 しかしフランス料理とかインド料理とかはあまり食べようとは思わなかったのでアメリカのテーブルでハンバーガーばかり食べていた。 ここでまず全国統一ペーパークイズの上位3チームが前に呼ばれる(仙台第一、旭川東、山形東)。 ペーパークイズは結構できたと自信があったので(あとで発行された高校生クイズの本を読んだらYES/NOを抜けた四国・岡山40チーム中2位、高知県1位だった)もしかしたら呼ばれるんじゃないか…とドキドキしてたが当然呼ばれなかった。 まあそりゃ無理だよな…と思ってると「さてこの3チームの他にも地方大会を沸かせたチームがあります。高知高校の3人出てこい!」となんと僕らがステージに呼ばれた。 なんでも僕らは地方大会で元気がよかったということで特別にステージにあげられたらしい(さっきの高校生クイズ新聞の裏表紙に写ってたのもそういう理由。裏表紙に写ってた高校は他にあるけど)。 ステージにあがるや否や、福澤さんが僕に向かって「なんだその髪型は~。きれいなおべべ着ちゃって~」と言ってきた。 そんなもん、普段着に普段の髪型やがな、と思ってると「この全国大会に出ている女子でかわいい子いたか?」と振って来たので「あそこにいる子」と指をさした。 僕は話を振られたからにはのっからないといけないと思い、誰でもいいので女子を指さしたけど目が悪いのでステージ上からでは顔はわからなかった(この時、僕に指さされた人ごめんなさい。白い服を着てたような…)。 しかしこのあと同じ質問がI井とS井にも出され、 S井は「乗って来た飛行機のスチュワーデスさんがかわいかった」、 I井は「あそこのお姉さん」といい、福澤さんに「バカ、あれはコンパニオンさんだ」と突っ込まれてたのでこの2人のほうが上だなあと思った。 OAを見ると僕たちが呼ばれたシーンは当然カットされていたがペーパー上位3校がステージにあがってるシーンも2秒くらいだったのでなかなか厳しいなと思った。 |
▼それからOAもされた「高校生クイズギャグ100連発」が上映された。 本当はあのVTRはもっと長く、大笑いした記憶があるのだがOAを見たらあんまり笑えなかった。1回見てるから? |
▼次にかくし芸大会。 これは事前にチームリーダーの家に電話がかかってきて「何か芸ない?」と聞かれるのだがI井がその日留守だったので僕の寮にかかってきた。 そこで「何か芸ない?」と聞かれて「そうですね。盲牌くらいですね」と答えたら「盲牌か。それはまあいいよ」と言われた(笑)。 他にもいろいろ恋愛の話とか聞かれて2時間くらい話してしまった。この時の話が元になってステージにあげられたと思うのだがもしあの日I井が留守じゃなかったら僕のところに電話がかかってきてないのでステージにあげられたりすることもなかったのかなと思う。 |
▼それからカラオケがあった。 しかしいくら高校生がカラオケ好きといってもあの場で「カラオケしたい人!」と言われて「ハイ!」と言える人はいない。なかなか希望者がいなかった。 しかしさすがTV局、ちゃんと調べてある。 「そうですか。それなら指名しましょう。バンドを組んでボーカルをやってる沼津高専(静岡)出てこい!」と沼津高専が呼ばれた。 福澤アナ「何が歌いたい?」 静岡「なんでもいいんですか?」 福澤アナ「ここは日テレのスタジオだもの。なんでもあるさ」 静岡「じゃあヤングマン!」 福澤アナ「はいはい少しまってね…。え?ない?ヤングマンないって。他ならなんでもあるよ」 …というやりとりが交わされ、「太陽のKomachi Angel/B'z」を歌い、そのシーンが放送された(しかしヤングマンがないとは…)。 |
▼そのあと、OAもされたチーム分けの椅子取りゲーム。 いくらあれほど綿密なデータの新聞を作ってもチーム分けは所詮椅子取り。このへんが高校生クイズよね。 ペーパークイズ1位の仙台第一と同じチームになったらいいなあと思ってたら本当にそうなったので嬉しかった。 チームカラーは赤。 当時の高校生クイズはYES/NOを抜けた後につけるゼッケンの色が香川=青、愛媛=緑…というように毎年決まっており高知県は赤だった。 昔から「YES/NOを抜けてあの赤のゼッケンつけたいなあ」と思っていてその夢がかなったのだがこの全国大会でも赤チームだったので嬉しかった。 (※)補足。この7年後に出たアタック25でも赤の席だった。 |
▼収録が終わって廊下に出ると着替え終わった私服のコンパニオンのお姉さんたちと一緒になった。 ここでI井が「あのお姉さんたちと写真をとろう」とアグレッシブな発言をし、一緒に記念撮影をした。 1番かわいい人が「撮ってあげるよ」と撮影係を買って出たのでその人が写ってないのは残念だったけど。 |
▼それからまたバスで宿舎へ移動。このバスは「高校生クイズ」とでかでかと貼ってあるので信号待ちで止まった時などは通行人に注目され、少し恥ずかしかった。 バスはチームごとに7台用意されていたが僕らのチームのバスが先頭。しかもたまたま僕は1番前に座ったので宿舎に入るのも1番乗り。 宿舎の玄関にはカメラが待ち構えており、「こんなとこまで撮影されるのか…」とこれも少し恥ずかしかった(カットされてたけど)。 |
▼宿舎は30畳くらいの大広間3つくらいにみんなでざこ寝。しかしなぜか僕らと仙台第一と盛岡第三(岩手)だけは個室というか小さい部屋だった。 それからOAされたように各チームごとにチーム名を考えるのだがみんな全然考えないので僕が「RED ZONE」というチーム名を考えた(チーム名の看板を書くのは他の高校にやってもらった)。 それからいろいろな部屋に行ってみた。 OAされてたけど東大寺(奈良)が早押し機を持って来ててクイズをやっていた。 いっぱいだったので入れてもらえなかったけどノートを見せてもらった。 「地理」と書かれたノートには世界の首都とか火山が書かれており、「芸能」と書かれたノートには「情けねえ=とんねるず(の曲)」、「B'zのアルバム=Mars(火星)」とか書かれていた。 確かに当時の高校生クイズは芸能がよく出てたし、苦手な人からすれば首都とか火山と同じようなものかもしれないがミーハーな僕は「芸能ってこんなノートに書いてまで覚えるものなのか…」とちょっとびっくりした。 僕もちょっとはクイズの勉強してたけど(ほんのちょっと)、「クイズってこうやって学校の勉強みたいに勉強するものなんだなあ…」と思ってると、大田原高校(栃木)の人が「牌をもってきたので誰か麻雀やりません?」と言ってきた。 全国大会に早押し機を持ってくる高校もいれば牌を持ってくる高校もいる。これぞ高校生クイズ(笑)。 |
▼そうして栃木、山梨、鳥取の人たちと麻雀をした。この人たちとはしばらく交流があり、米子東(鳥取)のM君とは今でも年賀状のやりとりをしている。 ここで印象的だったことは最初ルールの確認をする時、大田原高校の人が「東北新幹線(※)は無しね」と言ってたこと。 僕のカメラは時間が出るモードにできたのでそのモードにして撮った写真には「(午前)4:47」と入ってる。 結局午前6時頃寝て、7時起床というコンディションの中、1回戦の会場に向かった。 (※)東か北のどっちかがアタマでどっちかがコーツでイッツーを作る。 東東東北北123456789 |
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