第11回高校生クイズ回顧録
③敗者復活編
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▼バスに乗り込んだ後、弁当が出されて初めて「ああ今日は朝から何も食べてなかったな」と気づいた(※)
車内の時計を見ると14時過ぎ。中断も含めて4時間クイズをしていたことになるが自分では1時間くらいかなと思ってた。

1~2時間しか寝てないのですぐ眠りについた。

(※)と、95年版では書いてるが朝食は食べなかったのかな?
▼この後、OAを見ると
①バスガイドさんが「みなさん歌でも歌いましょう」という。
②「愛は勝つ」が流れる
③カラオケの画面で福澤さんが出てきて敗者復活を告げる。
④みんな大喜び

…という流れだが僕はずっと寝てたので④のみんなの歓声で初めて起きて「え、何?敗者復活やるの?」と隣の席の人に聞く始末。
①②③はOAを見るまで知らなかった。
▼敗者復活の会場についてみると場所はさっきの代々木公園。バスは東京をぐるぐる回ってただけらしい。

 バスを降りて歩道橋を渡ると階段の途中で若い女性が撮影されていて、カメラマンとレフ板を持っていた助手がいた。
 その横を100名以上の高校生がじろじろ見ながら通ったのであの女性も迷惑だったと思う。

 公園の中に入ると福澤さんが体育座りをしていて「愛は勝つ」を歌っていた。
 そして「みなさん負けて悔しいでしょう。どうだいそのくやしさをこのマイクにぶつけてみては」とのこと。

 最初は声の大きさで敗者復活を決めるのかと思ったけどそうではなく、希望者だけらしい。
 I井はこういうのやりたがる人なので「やったら?」と言ったが「いいわ」と断られた。

 これは結局3人がやったのだが1番最初にチャレンジしたのが愛知・松蔭高校の1年生Yさん。
「愛知県立松蔭高校、敗者復活絶対抜けるぞ!」とシャウト。
こういう時は女の子のほうが度胸がある。
(このへんの福澤さんが歌ってたシーンとか敗者の叫びは全てカット)
▼敗者復活の方法は名前ビンゴ。
 実はこの年の四国・岡山のペーパークイズの敗者復活がゼッケンの後ろに自分で書いた文字をビンゴで消していって1番早く消えたチームが復活というものだった。
 その時はどこが抜けるのかな…と余裕の見物だったが今度は僕らがやる番。

 しかも四国・岡山大会の時は箱の中からひらがな1文字を引くという公平なものだったが、今回は全国大会らしく(?)機械のルーレットを使うらしい。
 そんなもん、スーパージョッキーの熱湯ルーレットと同じで操作しまくりやん、と思いつつルーレットは始まった。
▼1番最初に出た文字は「か」。いきなり僕の名前に使われてる文字が出た。これであと4文字。抜けれるかもしれない!と思う(単純)。

 しかしその後は「し」「う」「す」「こ」「ふ」とさっぱり。
 ようやく「た」が出て残り3文字になるがここで石川・金沢泉ヶ丘の人が「き」でリーチ。
 その後、秋田・大館鳳鳴の女子が「ら」で、茨城・竹園高校の男子が「と」でリーチ。

 結果、「と」が出て竹園高校が勝ち抜いた。

 後でみんな「ルーレットは一瞬『へ』に止まったが移動して『と』に止まった。あれは男女混成チームの竹園高校を勝たせるためのインチキだ」と言っていた。
 確かにOAを見るとそのようにも見えるがみんなよく気づくなあ。僕は現場にいたけどそういうのは気づかなかった。
▼カメラが止まった後、バスに乗り込もうとしたらみんなが福澤さんにたかっている。
 何をしているのかなと思ったら名前ビンゴで使ったボードの裏にサインをしてもらってた。

 僕も行ったがなかなかしてもらえなかった。
 福澤さんが「なるべく3人一緒に持って来てね。3枚一緒のところから優先してサインするよ」と言ってたがI井とS井はそんなんいらんわ、とバスに乗り込んだのでとりあえず
2人のボードだけもらってサインしてもらった。

 こうして苦労してしてもらったサインが書かれてる名前ボードと高校名が書かれてるボードは翌日、空港に向かう道中、手にもって歩いていた(バッグに入らないから)。
 当然通行人に注目されるが僕は「僕たち高校生クイズに出たんですよ!」とむしろ誇らしい気持ちだった。
 しかしS井は「恥ずかしい」と途中で名前ボードを捨ててしまう。
 
僕が苦労してもらってきたのに…。
 
▼本当はこの日のうちに帰る予定だったがクイズが長引いたので同じ旅館にもう1泊することになった(関東のチームは帰った)。

 まず交通費の精算。
 テーブルの上に大量のお札と小銭がおかれて、順番にお金をもらうのだが驚いたのは領収書の提示とかはなく「3900円です」といえば「はい、3900円ね」とすぐお金をくれること。あまりにドンブリ勘定で、こんなので大丈夫か?とこっちが心配になった。

 僕が現金でもらったのは高知駅→高知空港の数百円だけ。
 飛行機代はもちろん日テレ持ちだけど航空券はたぶん予約されてて高知空港に行ったら乗れるようになってたと思う(空港で何万円も建て替えるのは僕らには無理なので)。

 また、この交通費をもらう時に鳥取のM君はスタッフに向かって「あのルーレット、インチキでしょ?」と聞いたらしい。
▼その後、ある部屋で10人くらいでいたら青森の人がやってきて写真を撮りましょうという。
 この人は全員の写真を撮り、全員に後で送ったらしい(ちゃんと僕のところにも届いて返事の手紙も書いた)。

 僕も写真はマメに送るタイプだけどさすがに100人以上にそういうことするのはちょっとできないなあ。今ならLINEとかで共有して簡単だろうけど。

 あと、高校生のお世話をするような係の若い人がいてどっかで見た顔だなと思ってたら第8回で決勝まで行った都立明生高校の人だった。
▼1回戦を勝ち抜いたチームは宿舎は別だったが東大寺の人たちが荷物をとりに来て遭遇した。

ちょうどその頃、山口高校の人たちが今から帰るという。
僕が「今から帰るの?」と驚いてると
「俺らは受験生だからね。この全国大会に出ている間は息抜きできたけど負けたら速攻で帰って勉強しないと」とのこと。
僕も受験生なのでなんか恥ずかしかった。

そして東大寺に向かって「頼むぞ、絶対お前たちが優勝してくれ」と言って去っていった。
山口と東大寺は同じPink Communitiesだったので仲間意識があったのかもしれないが僕は残った高校にエールを送るという考えは全くなかったので「そういうことまで考えるんだなあ」と感心した。

(※)山口高校とこの会話をしたのが何時頃かわからないけどだいたい17~20時頃(さっきの青森の人がとった写真に山口高校はうつってるのですぐ帰ったわけではないことがわかる)
その時間から山口県に帰れるか?と思ったので先日ある人に聞いたら「寝台列車では?」とのことだった。
▼特にすることもないので麻雀でもするかということになったが(またかよ)、栃木のH君が帰ったので牌がない。
 こういう旅館なら麻雀牌はおいてるだろうと思ったがなぜか旅館の人がなかなか貸してくれず、2時間の交渉の末、ようやく牌を貸してもらえた。

 この時、一緒にやったメンバーは覚えていないが鳥取のM君はいたと思う。しかしさすがに疲れていたので24時には寝た。
▼7月31日(水)
 早く寝たので7時には起き、2、3回麻雀をした(またかよ)。

 この頃になると鳥取のM君とは長年の友達のような感じだった。
 「一緒にもう一晩泊まろう」とM君に言われたがこの日の飛行機をスタッフの人がとってくれてたので泣く泣く断った。

 僕が1日目、2日目と麻雀で交流を深めてる間にI井たちは同じ部屋の盛岡第三と仲良くなっており、今日は彼らと後楽園遊園地に行くという。

 飛行機の時間大丈夫かなと思ったが僕も同行した。

 この日の14時頃の飛行機をスタッフの人がとってくれてたがI井は「キャンセルして夕方の便で帰ったらええやん」と言っていた。
 しかしI井がキャンセル手続きをなかなかしない。

 このへんの詳細は忘れたけど結果として僕らは飛行機に乗り遅れた。
 
 日テレに電話すると「何やってんだ、お前ら」と言われる。

 夏休みということもあり、次の便もあいてなかったが、17時半の便が1席だけあいててこれを逃すとあと2、3日空いてないらしい。

I井たちは「もっと東京で遊びたい」と言ってたが僕は明日(8月1日)から夏季講習も始まるし、心身ともにかなり疲れていたので早く帰りたかった。
話し合った結果、僕だけ17時半の便で帰った。
▼8月3日くらいにI井に高知で会った。
あのあと、1日目2日目で泊まった旅館が空いていたのでそこに泊まらせてもらったらしい。

31日は2回戦が行われ、勝ったチームも負けたチームも同じ旅館に泊まったとのこと(1回戦を勝ったチームは30日の夜は別の宿舎だったのに)。

「そういうわけでどこがベスト4か知ってるぞ!」と言われたが僕はウルトラクイズなどの結果を先に知るのは好きじゃないので聞かなかった(※)。

あと、「長岡高校(新潟)の女子チームと次の日、一緒にディズニーランド行ったぞ!」とも言われたけど別にうらやましくはなかった。


(※)大学時代はウルトラクイズやFNS1億2000万人のクイズ王決定戦で誰が優勝したかというのが毎回わかってしまい、ちょっとイヤだった。
▼I井たちが長岡高校と一緒にディズニーランドに行ったのは成り行きだろうけど元々「明日はディズニーに行く」というのは聞いていた。

ぬいぐるみを3つ買って来てもらうように頼んでおいたので1つは部活の先輩に、1つはクラスの仲のいい女子に、1つは妹にあげた(※)。

(※)このことは95年版を読み返すまですっかり忘れてました。こんな優しい兄なのに、昨年新婚旅行でイタリアに行った妹はおみやげを買って来てくれませんでした。
▼それから写真を焼き増し(死語?)して鳥取や栃木に送り、向こうも返事や地区予選のビデオを送ってくれた。

鳥取のM君の手紙に「長岡高校の子と4時間電話して今度東京で会う約束をした」と書いてあった。
確かI井も似たようなことを言っていたが…。
▼8月23日、全国大会が放送された。

さぞかし反響が…と思われるかもしれないが所詮は1回戦敗退なのでそれほどはなかった。
特に、前年同じクラスの人が2回戦まで行ってるので「あいつらは2回戦まで行ったのに1回戦負けか」と言われたりもした(1回戦通過数が第10回は30で、第11回は10で全然違うのに…)。
▼放送から1か月くらいたった後、母親が「高校生クイズ新聞を家族や親戚で何回も読んだのでぼろぼろになってしまいました。もう1部ください」と日テレに手紙を書いたら本当にもう1部送ってくれた。しかも「当て紙」として2回戦で使ったボードも同封して。

このボード、普通のボードにライオンちゃん&クイズラのシールが貼られていて、ワク線はよくみるとフリーハンドで書かれていて少し曲がっている。
人からみればただの紙だけど1回戦で負けた人でこのボードを持ってるのは僕だけだろうから嬉しかった。

そういうわけで高校生クイズ新聞も2部あるはずだけど新聞もボードも、もう15年くらい見てない。
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